"音響の冒険、もはや60年"
1948年、フランス放送協会の中にあった小さな研究グループの推進者ピエール・シェフェールは、芸術表現の新しいかたちを発明し、自らミュージック・コンクレートと名付ける*6。
クリエイターであり、ラジオ(”見ることなしに聴く”ラジオというものは、この新しいコミュニケーションの方法において、聴衆から摩訶不思議だという感想と賞賛とを同時に受け取った*7)のプロデューサーでもある彼は、偶然と遊びのセンスの赴くまま、全く新しい音楽の冒険へ身を投じる。録音という技法が、ゆっくり時間をかけて何回も聴くということを可能にし、何か月も”固定された”音を実験、観察した後のことである。フォノテック(音声資料館)に収められているうち、最も多種にわたる音素材は、技術者達に捨てられた物か、或いはシェフェールに録音された物等である。数々のレコード・プレーヤーを操作しながら彼は書いている*8。
『1948年4月21日:もし私が音の最初のアタック部分をカットしたなら、私はある違った音を得ることになる。また、フェーダーのおかげで、音の強さの低下を防ぎ強さを補うとしたら、私は自分の意図するようにクレッシェンドの場所を移動させ引き伸ばされた音を得られるのだ。私は、このようなやり方で作られた音のシリーズを録音し、それぞれディスクに収めた。これらのディスクをレコード・プレーヤーに載せ、再生-停止の切り替えスイッチの操作のおかげで、私は自分の望むように演奏することができるようになる。次々に、又は同時に。-中略-私達は、職人である。私の声、わたしのヴァイオリン、これらは、木やブリキでできたこのあらゆるガラクタの中や、私の自転車の警笛の中にも再び見つけることができる。私は、エレクトロンを介在させることなしにダイレクトな音素材との接触を探しているのだ。』
彼の熱狂と科学的なエスプリが「騒音のエチュード - Etudes de bruits」(レコード化された初のミュージック・コンクレートである)を生み出し、これはコンサートに先駆けてラジオ放送された。ピエール・アンリは、1949年ラジオ・クラブ・デッセイにてシェフェールと再び落ち合う。そして一緒に「ハ音のビデュール - Bidule en ut」と、のちモーリス・ベジャール*9のバレエ団と共に世界中をまわることになる「孤独な男のシンフォニー - Symphonie pour un homme seul」を作曲する。1951年、ピエール・シェフェールのグループはRTF内のミュージック・コンクレートのグループという形になった。そして、1958年再編成され「音楽研究グループ」(GRM)*10と名付けられた。一方ピエール・アンリは、孤高の道を辿り、1960年にアプソム - APSOM、ミュージック・コンクレート初のプライベート・スタジオを設立する。彼の歩んだ後には、更に多くの聴衆を広く集めながら数々のコンサートの種が蒔かれた。「現在という時間の為のミサ - Messe pour le tempsprésent」、「旅 - Le Voyage」、「ヨハネの黙示録 -L' Apocalypse de Jean」、「フュチュリスティー -Futuristie」、「リヴァプール・ミサ - Messe de Liverpool」…… 1950年代を通して、伝統的な、あるいは当時アヴァンギャルドと呼ばれた作曲家達が次々とミュージック・コンクレートの実践を学ぶ為、ピエール・シェフェールのもとを訪れる。ダリウス・ミヨーからイアニス・クセナキス、オリヴィエ・メシアンからエドガー・ヴァレーズ、そしてアンリ・ソゲからピエール・ブーレーズまで。ところで同じ時期に外国でも、作曲家達は電子音楽スタジオでの作業に熱中していたのである。カールハインツ・シュトックハウゼンはケルンのWDRで「Gesang der Jünglinge」(1956)を、ルチアーノ・ベリオはミラノのRAIで 「Thema - Omaggio a Joyce」(1958)を作曲した。アメリカでの”固定された音”の実験の成り行きは、もっとテクニカルなものに及んでいった。ミュライ・ヒルにあるベル・テレフォン・カンパニーの研究所では、マックス・マチューズがコンピューターを使って音響合成を研究し、それだけではなく、ニューヨークのコロンビア・プリンストン・ミュージックセンターではオットー・レウニング(「Fantasy in space」(1952))、ウラジミール・ウサチェフスキー
(「Incantation」(1959))の試みなどが…… さてフランスではそろそろ、混じり気のないアクースマ
ティックな作曲家の養魚池が生まれつつあった。フランソワ・ベイル(「Espaces inhabitables」(1967))、ピエール・ブースウイルヴァルド(「Sur les chemins de Venise」(1983))、ミッシェル・シオン(「Requiem」(1973))、クリスチャン・クロジエ(「Quasars」(1980))、リュック・フェラリ (「Hétérozygote」(1964))、ジャック・ルジュンヌ(「Parages」(1974))、ベルナール・パルメジアーニ(「De natura sonorum」(1975))、ジャン=クロード・リセ(「Mutations」(1969))、アラン・サヴレ(「L'Arbre et coetera」(1972))……など。
"アクースマティック・アートの現在"
幾千もの世界的なレパートリー
60年間もの研究、熟考と製作、四世代にわたる多くの重要な作曲家、その相当数はすでにクラシックである作品の数々、それからまたレコード録音の説得的データ等が、アカデミズムの洗礼を受けていないこのジャンルの生命力を示している。ピエール・シェフェールやその他の多くの国の電子音楽の先駆者達の影響を受けたり刺激されたりした者達は、自分達のスタジオを作った。1970年にはフランソワーズ・バリエールとクリスチャン・クロジエが GMEB (ブルジュ音楽実験グループ)を設立。これは、電子音楽の製作の世界的な、特に東ヨーロッパ、北ヨーロッパ、キューバ、南アメリカの国々にとっての触媒といえるだろう。各国のコンセルヴァトワール及び大学の作曲科の授業の存在のおかげで、アクースマティック芸術の実践は、次の国々で大変な発展を遂げた。フランス(マルセル・フレミオ、ギイ・レーベル、ドニ・デュフール、フィリップ・ミオン……)、カナダ(フランシス・ドーモン)、ベルギー(アネット・ヴァンドウ・ゴルヌ)、イギリス(デニス・スモーリー)、オーストリア(ディーター・カウフマン)、ドイツ(カールハインツ・シュトックハウゼン、ハンス・テュトゥク)、ブラジル(ホルヘ・アントウネス)、イタリア(ロベルト・ドアティ、アゴスティノ・ディ・シッピオ……)、それだけではなくポーランド、ハンガリー、スエーデン、ノルウエー、南アメリカ、アメリカ合衆国、日本……アクースマティックは以降も、新しい世代の作曲家を惹き付け続けている。名をあげるとフレデリック・アクアヴィヴァ、パトリック・アシオンヌ、ポール・ドルダン、マルク・ファーヴル、トーマス・ゲルヴィン、ベルナール・ギュンター、ジョンティ・ハリソン、檜垣智也、フレデリック・カーン、エリック・ミカエル・カールソン、パトリック・コスク、フランシスコ・ロペス、リオネル・マルケッティ、エリオ・マルチュッシエーロ、ロベール・ノルマンドー、アケ・パルメリュード、ドミニック・プティギャン、アニエス・ポワッソン、ダニエル・テル
ッジ、クリスチャン・ザネジ……等。その他10数人の、時にはピエール・シェフェールの最初のアイディアとかけ離れてしまった作品のスタイルや、表現する世界、方法等の雑踏の中で活動をしている作曲家達もいる。彼等は、果てしないテクノロジーの進歩と戯れながら、自分達の音楽に対しそれぞれ異なった立場の呼称を使用している*11。少々当惑させられるこれらの多様性はこのジャンルでの活気とともに新しさをも表現しているのである。
様々な反響の中での経験
器楽を用いた現代音楽の作曲の世界は、ミュージック・コンクレートの経験に揺り動かせられた最初のものといえよう。イアニス・クセナキス、イヴォ・マレック、フランソワ=ベルナール・マーシュ、そしてドニ・デュフールのような作曲家達は、その音楽のスタイルやアイディアにおいてスタジオでの実践を通して、音の形態及びエクリチュール等のアイディアに、非常な影響を受けている。”閉じ込められた溝”は、徐々に現代の音楽語彙の中に位置付けられていった。また、ニューヨーク楽派といわれるアメリカのミニマル・ミュージックの作曲家達(スティーヴ・ライヒ、フィリップ・グラス、テリー・ライリー、ラ・モンテ・ユング……)も、まずテープ作品の中で、そして器楽
作品の中で”ループ”のアイディアからインスピレーションを受けていること、スタジオでの技量を滋養としていることを否定できないだろう。スタジオがもたらした音楽的時間に関する作用と異化効果の豊かな可能性は非常に新しい作品を生み出し、このパラディグムの変化がまだ現在の作品の中にも感じられるのである。
一つの新しい音楽が行動と素材そして今までと異なった方法で存在し、創造され得ることができるということに反応し、それを認めるのに最も時間がかかったのはセリエリスム及びポスト・セリエリスムの作曲家達であった。
1970年代に新しい美学を持った楽派がフランスに誕生したことも記しておこう。ピエール・シェフェールの音についての研究をしていた(アクースマティック・ミュージックではないが)このスペクトラル楽派*12は、周波数の高さの選択、作品のフォームの決定、オーケストレーション等に確実性をもたせるための、音の音響学的な構成(ハーモニックスやスペクトル)に触発されたのだった。
ジャン=ミッシェル・ジャールも彼なりにGRMとの繋がりを自認している。1960年代の終わりにパリ国立高等音楽院でピエール・シェフェールの授業を数ヵ月受けた後のことである。同じような音楽的変身は、ラインの彼方にも見られる。クラウス・シュルツ(カールハインツ・シュトックハウゼンの影響を受ける)、タンジェリン・ドリーム、初期のグループ・クラフト・ヴェルクなど。 60年代の終わりから、”恍惚”のシーケンスとスタジオの音響効果が、ポップ・ミュージックの世界に侵入するようになる。例えば、ビートルズ(
「Revolution 9」)、ピンク・フロイド(「The Dark Side of the Moon」)、キャン、そして更にラディカルなファウスト、それだけでなくヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ソフト・マシーン、最後に今最大の主導権を握る国際的ポピュラー・ミュージック、マイケル・ジャクソンにまで。
ついに90年代の始めにテクノ・ミュージックが現われる。司会者であり技術者であり、現在ではミュージシャンでもあるDJは自分達がピエール・シェフェールとピエール・アンリ(70歳で雑 誌の表紙で『世界で最年長のDJ』と紹介された!) の遺産を確かに引き継いでいると主張する。MCや他の夜の魔術師達は、知っていただろうか?1948年からある種の作曲家たちは、方向性やスタイルにおいて彼等より先に行っていたことを。彼等のスタイル、その発明や動力が、荒れ狂う夕べにおける最も注文の多いやつらをも、恍惚とさ
せることさえできただろうということを。
応用される音楽のジャンルの数々、(商業的又はコマーシャル音楽、テレビ、ラジオ、演劇、バレエにおける音のイラストレーション、短編もしくは長編映画の為の音楽、空港や駅のチャイム、テレビのスポット音楽、ジングルとその他のさまざまな場所や場合に仕掛けられた音等)についていえばこれもまた、アクースマティックの錬金術師が手を染めて、探究し、発見された、表現力に富んだ音の可能性に心を奪われたのである。
*5 アクースマティックという言葉の本来の意味の指し示すもの(アクスマ - ギリシャ語では”聴覚”)について様々な定義とコメントを紹介する。
a. ピタゴラス(紀元前6世紀)は聴覚に注意を促すためのオリジナルな方法を発明した。彼は、弟子達を前にカーテンの向こうに自らの姿を隠し、暗闇と完全な沈黙の中で、教えを説いたのだった。”アクースマティック”とは、彼自身がこのようなシチュエーションを指した言葉で、弟子達もこのようにして聴くことへの集中力を養った。この哲学者・数学者そして音楽家であるピタゴラスが自分では一冊の本も書き残していないことは、ご存じの通りである。
b. ジェローム・ペーニョ。現代では、1950年代のラジオフォニックの大冒険から初めての”騒音の音楽”が生まれ、ピエール・シェフェールがそれについて初めての方法論を掲げている一方で、作家、詩人であるジェローム・ペーニョはあるラジオ番組の中でこのように自身の意志を表明していた。『音とその起源を分かつこの距離をどんな言葉で差し示したらよいのだろうか……アクースマティック・ノイズというものは(辞書によれば)その起源や発した理由のわからない音ということだ。そう、まさに!ここにオブジェ・ソノールの定義そのものがあるのだ。ミュージック・コンクレートの基本的な要素である。ミュージック・コンクレートというものは、この世で最もグローバルな幅の広い音楽といえるであろう。例えて言えば、頭のテッペンは空に届き、爪先は地獄に触れているような。』(ミュージック・コンクレート・グループの番組「生きている音楽」1955年より)
c. ピエール・シェフェールはその「オブジェ・ミュージコー概論」(1966)の中で、アクースマティックという言葉について再び取り上げ、”制限された聴覚”と再び関係付けている。『テープレコーダーは、ピタゴラスのアイディアを長所として持っている。つまり、もしテープレコーダーが新しい音観察に関しての現象を生み出すのなら、それはとりわけ、新しい音観察の条件を生んだことになるのだ。』(フランソワ・ベイルの引用より抜粋、「現代音楽の語彙」、コレクション・ミュージック・ウーヴェルト、ジャン=イヴ・ボッサー著、ミネルヴ出版社刊行)
d. ドニ・デュフール&ジャン=フランソワ・マンジャール/アクースマティック・アートというものは音の芸術であり、ある媒体に密着(録音)させた最終的な作品であり、唯ひとつの聴き方で提供されるものである。視覚に頼らず、そのスタジオに装備されている、作曲家に提供された電子音響音楽の用法の限りをつくしながら成されるのである。アクースマティック・ミュージックの作曲とは、聴くという行為のもとで生まれる。つまり、作られた音か、採取され、変換された音を基にして、”スタジオでの作業”と”聴く”という行為の間を行ったり来たりしながら、結果をダイレクトに聴くことによって完成される作曲の仕方である。このようにして作曲家は曲を作るのであり、ディテールの細かいエクリチュールや、音のイメージとイメージの間のアーティキュレーションの膨大な発明をもって、彼の作品の要素を構成するのだ。その発生の起因と切り離された音は必然的に、実際のその音の生まれ
た原因ではなく、ヴァーチャルな関係、つまり、それ自体が内的な、或いは外的な、誘導された、または想像上の、メタフォリックな空間を生み出すような関係に(人を)引き込む。それらによって感覚は誘発されるのである。(「現代音楽の語彙」、コレクション・ミュージック・ウーヴェルト、ジャン=イヴ・ボッサー著、ミネルヴ出版社刊行)
e. ミッシェル・シオン/アクースマティックとは:私達が、それがどこからきたのか、どんな風にして発生したのかわからない音を聴くというシチュエーションのことをいう。このギリシャ語は、その昔ピタゴラスの弟子達が壁掛けの後ろに姿を隠した師の説教を聞いたというエピソードからきている。ミュージック・コンクレートの発明者であるピエール・シェフェールは、ラジオ、レコード、スピーカー等から聴くというシチュエーションを特色付けるためにこの言葉を発掘することを思いついたのだった。自身の著書「オブジェ・ミュージコー概論」(1966)の中で彼は、このシチュエーションでの聴き方の心理的なところについて、結果を分析している。彼の後、作曲家フランソワ・ベイルが一般に使われていたミュージック・エレクトロアコースティック(電子音響音楽)という言葉に代わってアクースマティックという言葉を利用することを思いついた。”ミュージック・アクースマティック”、”コンセール・アクースマティック”などの表現は、彼にとってこれらの音楽の美学的観点や、聴き方、そして、スピーカーを通して生まれるその録音された音の発生の起因と切り離された、”姿の見えない”音楽の作曲方法の条件等に、よりふさわしいように思われたのであろう。(ミッシェル・シオン、「ラルース音楽辞典」より)
hi i've had you in my toplist your sounds are great for me!!!!!!!!! allthebest send a comment to: www. myspace. com/akamoi for me is important your opinion thanx
t h a n x for aD d great sound i really LIKE IT!!!!!!! thanx for your sounds lIsTe -n www. myspace. com/akamoi www. myspace. com/dramavinile s U P p Or t IT::::::::::::::::::::::::::::::::::::&(ifyouwant) SEND A COMMENT ON akamoi's sounds