70年代後半、静岡県で生まれる。ララベルステッキを持ちながら松田聖子を口ずさむ幼少時代。父の会社が順調で、穏やかな時代。絵をいっぱい書いていた。バレエを習いたいと言ったら、手違いでモダンバレエ教室に通わされる。音楽がクラッシクじゃなくて、こども心になんかこれは私の憧れているのと違うのではないかと疑う。キティちゃんよりキキとララが好き。『リカちゃんのマクドナルド』とかいうおもちゃと一緒にリカちゃん人形を買ってもらった5歳の誕生日。そのうち会社が倒産。浜松市に引っ越す。
80年代半ば、シロ--犬--ミュウ--猫--を飼う。大家さんの娘が国立音大を出ているということで、ピアノを教えてもらう。ド・レ・ミはC・D・E、、、と英語読み--ツェー、デー、エーではなくシー、ディー、イー--で教育される。アメリカの前衛的な楽譜でのレッスン。こども心になんかこれは私の憧れているのと違うのではないかと疑う。でもそれなりに楽しみ、ピアノじゃなくて声楽を習ってみたり、フリーダムなレッスンは続いた。犬の散歩をしながら、鼻歌作曲。菊池桃子が歌うみたいな曲を作っては没にする。父が始めた仕事の関係で、家にファミコンソフトと古本--昔の漫画が中心--が大量にある状態。こどもにとっては天国。パックランドとサーカスチャーリーに夢中。漫画は『スーパー食いしん坊』という、ビッグ錠のめちゃくちゃな料理マンガがお気に入り。ゲームセンター嵐が出てくる「こんにちはマイコン」という単行本を読んで、アップルコンピューターを知る。
80年代後半、引っ越し。お兄ちゃんがレコードプレーヤー付きのCDコンポを買う。お兄ちゃんの『サウンドオブミュージック』のサントラや、ユーミンや、『魔女の宅急便』のサントラを繰り返し聞く。少々ブランクをおいて、別のピアノ教室に通う。いつも全身ピンクハウスのS先生は、大阪芸大音楽科を特待生で入った人。近所のお寿司屋さんの奥さん。オーソドックスにバイエルとかブルグミュラーとかバッハとかやっていく。その合間に映画音楽や60年代の洋楽のヒット曲など、先生の趣味の楽譜が入って、わたしがフレンチポップス系の時に反応が良いのに気がつき、フランソワーズ・アルディの『さよならを教えて』のCDをくれる。初期ユーミンはフレンチポップスに似ているなと思う。
90年代前半、先生が離婚。ピアノの先生はもうやめるつもりだったみたいだけど、気にせずだらだら通う。何を思ったか、フリッパーズギターの3rd『ヘッド博士の世界塔』を買う。ファンになる。友達が歌詞を書くというので、曲を作って録音してみる。フリッパーズギターの『ラブ・トレイン』をイメージして作るが、リンドバーグみたいになる。フリッパーズギター解散。同じファンの人を探して『花とゆめ』--当時は超人気漫画『ぼくの地球を守って』が連載中。つづきが気になり買っていた。--に文通相手募集のはがき出す。ここでグラフィックデザイナーを目指す4歳年上のMさんと出会う。グラフィックデザイナーという職業を知り、Macをつかってイラストレーターとかフォトショップとか使えるの、かっこいいなと思う。ミュウが死んで悲しい気持ちを表したピアノ曲を作る。
90年代半ば、Mさんの影響で洋楽を聴きはじめる。当時中学3年生の私の周りに同じ趣味の同級生はおらず、Mさんとの濃い文通が交わされる。この頃が今までで一番文字を書いていた時期だと思われる。高校では趣味の合う友人も出来る。Tちゃん--後に国立音大へ入学--がロジャーニコルズ風を狙って曲をつくる。英語の歌詞を付ける。これもシロの散歩中に考える。カヒミカリイみたいな曲になる。美術部で書いた小山田圭吾くんの絵が廊下に貼られていたことから、M子ちゃんに声をかけられ友達になる。一緒にフリーダムスイートの出るイベントに行ったりする。音楽の課題で劇の作曲をする。当時夢中だったプライマルスクリームのジェントルチューズデーを元ネタにしたら劇のイメージに合わず、不評。自由に作曲していいよという課題では、Wood-Be-Goodsをイメージしてピアニカとマリンバの曲を作る。こちらは好評。この頃はコードも分からず、イメージした音を拾いながら作曲していた。
スチャダラパーの出るクラブイベントでまだ活動休止中の小沢健二さんを見つけ、思わずセーターを引っ張りにらまれる。オザケン、コーネリアス、活動を開始。渋谷系ムーブメント、スウェーディッシュポップの波は浜松にも着実に届いていた。Snap records--後にSoap records--からどんどんいいアーティストが出ていた。お兄ちゃんの友達で楽器店に勤めるIさんに、フリッパーズギターのスコアをこっそりタダでもらう。これでコードを覚える。
90年代後半、大学進学で名古屋に。浜松では見られなかった外タレツアーのライブを堰を切ったように通う。名古屋ではじめて見たのはCardigans。Pineforest Crunch、 Eggstone、Cloudberry Jam、THE EXCUSE--エクスキューズは2回見に行きました!--Sophie Zelmani等、ベタなスウェーディッシュポップ勢を中心に、Luscious Jackson、Primal Scream、Eddi Reader、Cyndi Lauper、BenFoldsFive、--Beastie BoysとBeckは当時全然チケットが買えませんでした。--などなど、他にもいっぱいあったと思われるが、バイト先のマネージャーさんに怒られながらも休みを取って行っていた。--五十嵐さん、当時はホントにごめんなさい!--カジヒデキくんソロデビュー。自分を取り繕うことを感じさせない、堂々とした表現に、衝撃を受ける。恥ずかしいのをとおりこして、清々しく思う。
インターネットの普及。学校のMacが自由に使えたので、コーネリアスのメーリングリストに入る。いろんな人が居て、友達になる。みんなでコーネリアスのライブに行ったりする。エスカレーターレコーズのイベントが、名古屋でも始まる。新しいムーブメントを感じてわくわくする。最新の音楽を求めて、イベントに通いだす。
ちょうどこの頃、レコード屋さんに貼ってあったメンバー募集を見て、ノムラマサヒロと知り合う。当時の米国音楽に載っているようなバンドの名前がぎっしり書いてあって、「女性でキーボードが出来て、マックが触れたりしたらいいかも。DTMとか出来たらもっといいかも。」だったとおもう。ローランドのアルバイトもしていた時期だったので、DTMしたくてウズウズしていた。私もユカリフレッシュみたいなの作りたい!しかしながら会って話してみると、もう既にナイーブポップもストロベリーマシンの前身も始まっていて、何じゃそりゃーとおもったら、どういうわけかレーベルを始めることになった。--レーベルについては
abcdefg*record、または
naivepopのマイスペースを参照。--企画やパッケージデザインをする。手探りで覚えていく時期。
1998年、iMacのボンダイカラーを購入。
1999年リリースのコンピレーション『
月曜日のabc』に『the letter for michel』という曲で参加。ジャケットもデザイン。これがはじめてのイラストレーター使用作品。
2000年、ミンティフレッシュジャパンのコンピレーションアルバム、『minty fresh japan compilation vol.1〜a small,good thing』に参加。他の参加アーティストはCigarette、TRANS ALPHABET、photo jenny、JET LAG、宇宙ネクタイ、Weimar、patrasche、human station。これは当時大阪から地元名古屋に帰ってきたレフトバンクの山口さんが声をかけてくれて、二つ返事で参加が決まった。一緒に入ったバンドはどれもすばらしく、特にジェットラグは大好き!とても良い想い出。
Strawberry Machineの1stアルバム『
ゼロゼロファイブ』に「noon」提供。これに入っている時報の声は、家にあったしゃべる時計からサンプリングした。アキラちゃんのコケティッシュな声が曲にぴったりはまった。
2002年、
naivepop or petitfoolの1stアルバム『
1,2,3,DARTS!!』に「one elephant」を提供--共同プロデュース。この曲の歌詞は1番だけ出来ていて、2番はボーカルのヒロちゃんに作ってもらったのだけど、これがものすごく切ない、名曲になってしまった!未だにこの歌詞を弾き語りで歌うと、ううっとなります。ユーミンのひこうき雲みたいなかんじだなあ。
2002年、heidiの1stアルバム『
kumori megane』にコーラス、キーボードで少しだけ参加。今聴くとすごく恥ずかしいが当時はこれが精一杯!heidiには数々のご迷惑をおかけしました!
2004年、abcdefg*recordのブック&コンピCD『
Intro.01』に『rain and snow』で参加。新しいiMacを買ったこともあり、ガレージバンドでぎこちなく作った曲。mixに大変な苦労をした。いい経験。
2005年、ライブドア六本木ヒルズオフィス会議室にて、テトラプルトラップの川島君企画による24時間生放送番組『428Kネットラジオ』の総合司会を、エレキベーズの坂本陽一くんとつとめる。いよいよいろいろなことが見えてくる。後にリリースするクノシンジのライブサポートを、微力ながらつとめる。クノくんのポップセンスをびりびりと感じる。この年はひょんなことから自分のお店を始める。経営に翻弄されながらも、レーベルはつづく。
2007年、abcdefg*recordのコンピ--ファンジン『
Intro.2007』に『hello-はじめまして』で参加。本当は日本語だった曲。歌詞があまりにもだったので、急遽英語に変更。ちなみに最初のくだりは「フワフワお日さま、そよそよ運んだ、、、、」です。
年末にBEAT CRUSADERS主催のクラブイベントにStrawberry Machineのサポートで出演。ビークルのファンとのかかわり合い方に感動。自分も一歩踏み出すことを決意。
2008年アルバム制作元年。5月ひとり合宿。6月ひたすら内面を見つめる。7月レコーィング本格化。8月レコーディング最終局面、音源完成。9月アートワーク完成。プレス完了。11月26日の発売日にむけて猛ダッシュ中。10月にiTunes Storeで4曲入り先行シングル『Good Morning Song EP』発売。11月23日、アルバム発売に先駆けて神保町カフェフルークにて『 にちようびのmiette-one 』(donocana label presents)にmiette-one delicious bandとして出演。昼と夜の2部制で1日2回公演の限定チケットが完売。サポートメンバーはG:サカモトヨウイチ(ELEKIBASS), Key:クノシンジ, Per&Bass:
ユキカワナ(
Yucca), D&Cho:シナダアヤコ(
Yucca,
contill)豪華。12月28日、中目黒のCLASKAにて「ワイキキ・フィリアとabc〜大忘年会スペシャル〜」を開催。WAIKIKI RECORDS, philia, abcdefg*record & HOTEL CLASKAの合同イベント。ライブをHARQUA (HARCO+Quinka, with a Yawn), ELEKIBASS (Guest:堂島孝平), DJをカジヒデキ, HALFBY, SHYBOYPARTYCLUB (KEYOSSIE and SPECIALONE), YMCK, などなどその他シークレットゲストを交えて行う。miette-oneは、主催側の裏方&ライブペインティングの為に出演した
中村佑介さんと、ネットラジオ『コアレディオスーパー(仮)第13回』の公開収録を敢行。おしゃべり&中村さんのバンド
S▲ILSの『絵筆は役に立たず』『おしりのふとん』を楽しく合奏。がしかし収録は機材トラブルによりお蔵入りとなる。悔しがる。楽屋では堂島孝平さんのハーモニカさばきに圧巻。
2009年イヴェント元年(?)